死ぬのは本当に怖い事か?〈後編〉
おはようございます。ロクジンです。
前回に引き続き「死」について私が考えていることをお話しします。
目次
- 私の理解しているあの世の仕組み
- 誰にでも守護霊[マスター(ワイス博士の表現)]はついている
私の理解しているあの世の仕組み
私の理解している事を述べます。死んだら、肉体から魂が抜け出ますからあらゆる痛みから解放され、明るい光に導かれてあの世へ行きます。あの世へ行ったら、親や兄弟友人など先に行った懐かしい人たちが暖かく出迎えてくれます。そこでしばらくその人たちと過ごしあの世に慣れてから自分の行くべき所へ行きます。行き先は自分の魂のレベルに応じた所です。同じレベルの人たちばかりですから、居心地が良い。肉体がないし、時間もないから自分の思いがすぐにイメージとして実現する。中々良い所なのです。ところがあの世では成長出来ないのです。霊格という比重で、住む所が決まっていて、違うレベルの人と交わる事ができません。霊格の高い人は当然上のほうで、心安らかに皆と仲良く暮らします。霊格の低い人達は下の方で、修羅、畜生、餓鬼、などの村があって、そこでいつも喧嘩ばかりしたり、欲望の赴くままに過ごしたり、奪いあっています。同じレベルの人たちばかりですから。普通の人たちからみたらそれらを地獄というのでしょうが、本人たちにとっては、それはそれで満足なのです。普通の人たちは中くらいの所で普通に過ごしているのです。一番つらい所は無間地獄です。どこまでいっても一人ぼっち。永遠の孤独を耐えなければなりません。人を愛す事が出来なかったら孤独です。
宇宙には宇宙の法則のようなものがあって、人間も進歩発展をしなくてはならないのです。それと普通の人はこの世で生きている時に何んらかのカルマ(業)を残しています。人や生き物の心や体を傷つけたり、自分で悔やまれる事などをやって、その償いをしないままで死ぬとそれがカルマとなります。カルマは一つずつ必ず刈り取らなくては、上の段階に行けません。それで、人は修行の為に重たい肉体という衣を身につけてこの世に生まれ出て、色々なレベルの人と交わる事によって魂を磨くというチャンスが与えられるのです。どういう人生をおくるかは自分できめて、その人生をおくるにふさわしい両親を選んで生まれてきます。修行の為ですから、今回の人生の目的も分からないように、母胎に入る前に忘却の水を飲んで、一切を忘れてから生まれるのです。確かギリシア神話では忘却の水ですが、中国の生まれ変わりの村ではスープです。森田 健作「生まれ変わりの村4」。
今度生まれ変わる時は、死んだ時の魂のレベル又は状態から再出発しなければならないので、自殺の場合は同じようなつらい人生を送る可能性が高いのです。だから生きているうちに問題は解決しておいた方がよいのです。死ぬことなんか怖くないのですから、死ぬ覚悟で、自分の人生を好転させなければなりません。死ぬ覚悟があれば大抵の事は出来ます。この世に生きている時に悔いがないような人生をおくると、次回はその分高い霊格からの出発になりますから、次回の人生は相当自己実現が出来て楽しい人生がおくれます。
誰にでも守護霊[マスター(ワイス博士の表現)]はついている
我々には守護霊という指導者がついていて、いつも我々を見守ってくれています。但し、守護霊はあの世から我々を指導しているので、中々守護霊の指導の声は我々には届かないのです。でも、いつも魂を澄ましていれば、必要な時には必ず助けてくれます。心が欲望や悲しみや怒りや憎しみで荒れ狂っていると、守護霊の声が聞こえなくなります。守護霊は霊格が高いので我々が人の為や世の中の為になることに一生懸命になって努力していると必ず助けてくれます。声なき声に導かれて助かったという事は誰でもあるでしょう。それは守護霊のお助けです。「お陰様で」と云うでしょう。お陰様というのは見えない存在の事で守護霊の事だと私は思っています。私は本当に必要と思ったものは必ず手に入れる事ができるという事を実感しています。欲しいと思った人材も必ず出てきます。理屈はこうです。私の守護霊様は私がこんな人材が欲しいと思うと、あの世から「私の守護しているロクジンがこんな人を探している」とあの世中に発信してくれるのです。あの世では思った事はすぐに実現しますから、私の求める人物像の人で職を探している人の守護霊様の所に情報が届きます。そしてその人の守護霊様が、私の求めていた人を動かして、私に巡り合わせてくれるのです。この方法で少なくとも素晴らしい人材を10人は獲得しました。
死を恐れなければ何でも出来ます。何でもできるのなら、ストレスを溜めて病気になる事もありません。困ったときには守護霊様にお願いしましょう。きっと救いの手を差し伸べてくれますよ。
今現在の私にとって死ぬという事は、まあ謂わば海外旅行にいくようなものです。次はどんな人生をおくるのか、どんな人と出会うのか楽しみです。魂のグループのようなものがあって、縁の深い人たちとは何回も転世のステージで役割を変えながら巡り会うそうです。二世の契りとか云うでしょう。親子は一世、夫婦は二世の契りと私の母は良く言っていました。ただ次回生まれて来るときに少しでも高いところからスタートできるように今世で出来るだけの事はやっておこうと思います。まだ転生しなくて良いというまでには到底達していませんから。
寺本麓人
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