ギックリ腰、胃痛、偏頭痛、風邪などを解消した私の「食」

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おはようございます。ロクジンです。3年位前まで、ギックリ腰、下痢、胸やけ等の胃痛、偏頭痛、残尿感、痛風、風邪などに悩まされていた私が、69歳の今、若い人たちに負けずにハードスケジュールをこなして現役で頑張っています。今ではほぼ上記の症状は解消し、快適な毎日です。今日はその秘訣といいますか、私の自慢の「食」についてお話をしたいと思います。

目次

  • その場しのぎの「健康」?
  • 痛風が教えてくれたこと
  • 「水野南北」との出会い
  • 自慢の食事メニュー
  • 最後に

その場しのぎの「健康」?

現在のように元気になる以前、それまで私は出かける時には必ず、整腸剤、胃薬、風邪薬を持ち歩いていました。それまでも結構忙しく、国内、海外を含め度々、出張していました。出先で腹痛などしたら、大変です。特に海外では大変です。常にトイレの事を気にしてなくてはならない。基本的には元気なのですが、若い時から下痢とギックリ腰と風邪は持病のように度々襲ってくるのです。ギックリ腰では、西洋医学、漢方、カイロプラクティック、按摩、針灸等何でもやってみました。それぞれ一時的には回復するのですが、しばらくすると又やってくるのです。昔、足の膝を傷めて、皿の骨を欠きました。その時しばらく、ギブスを着け松葉杖で歩いていたから、体の芯がくるったので仕方がないと思っていました。下痢の時の対処法は断食です。出すだけだして、後は、何も食べずに寝る。これが案外効くのです。残尿感については、お医者さんにもらった薬を飲んでいましたが、その時はそれで収まるのですが、胃が悪くなったりして、まあこんなものかと諦めていました。ところが、新聞広告で、ノコギリ椰子が良いというのを見て、飲みました。これは結構良かったので、飲み続けました。ところが、出張先の東京で切らしてしまい、薬局にいくと、八味地黄丸もよいからと勧められて、飲んでみたら中々良いのでしばらく続けました。偏頭痛は脳外科で診て貰いましたが、どこも悪くはないというのです。それで整形外科に行ったところテーピングで色々とやってくれました。これもしばらく続けると何とか良くなったのです。でもこんな事を周期的に繰り返していました。風邪なんか、年に6回位はひいていました。その度に解熱剤、咳止め、胃薬、喉のゼイゼイという音を消すための吸入剤や抗生物質などを処方して貰っていました。こんな事を繰り返していて良いのだろうかという思いがしていました。どうも今一つ体力的に自信も持てなかったのです。

痛風が教えてくれたこと

そんな時に痛風がやって来ました。忘れもしません、平成25年の伊勢神宮の式年遷宮のお祝いのお参りに行った時の事です。右足の親指に激痛が走ったのです。タクシーで近くの医院にかけつけると、すぐに「痛風です」と告げられました。以前、自宅の近くの医者に風邪の治療をうけに行った時に尿酸値が高い、このままだと痛風になるから、尿酸値を下げる薬を飲めと言われてました。どれ位の期間飲まなくてはならないのかと聞いた所、それは一生ですと言われたのです。私はあきれてしまいました。一生薬を飲み続けるなんてとんでもない。それじゃあ、薬漬けではないか。私は、アルコールはほとんど飲みませんから、自分なりに尿酸値を上げる食べ物などは出来るだけ避けるようにしていました。ただし、会社の定期健診では痛風判定は要注意と出ていました。お伊勢さんで足の親指が痛み出した時には、最初は破傷風ではないかと思いました。破傷風がどういう症状か知りませんが。何やら只事ではない深刻な事態で、かなり痛いのです。神罰が当たったのかと思いました。でもお伊勢参りにくる位だから敬神の念は強いのにナー、何かご無礼な事でもしたのか、それとも、日頃の所業の悪さが祟ったのかなどと、不埒な事を考えていたのですが・・・。とんでもない、これこそ天照大御神様の有難い思し召しだったのです。医者に痛みを抑えてもらい、あの清々しくて、神聖で、厳かな神域でいく時かを過ごすうちに、私のこれまでの、不摂生な生活の間違いに気づかされたのです。
美食家で、美味いものがあれば、どんどん食べるし、それも腹一杯食べるのです。そして自分は一端のグルメだと気取っていました。酒が飲めない代わりに甘いものには目がなく、食後はいつもスイーツを用意させていました。そのくせ運動はめったにしない。過食で、運動不足。実際若い頃より15キログラムくらい肥えていました。宵っ張りで朝が弱く、低血圧のため、寝起きはフラフラの状態でした。それで、この痛風を機に真の健康体になってやろうと決意し、色々と勉強もし、今、何とか、この年になって健康体となり、同級生のほとんどが医者通いしている中で、医者にかかる事はほとんどありません。今まで不健康の中でやり残した事が沢山ありましたから、今、猛烈な勢いで遅れを取り戻している所です。
そんな私の経験がいくらかでもお役に立てれば幸いです。

「水野南北」との出会い

私が一番にやった事は、食を慎む事でした。これは私の経験によるものです。しよっ中下痢をしていたのですが、出すものを出して、何も食べずに寝ていると結構治るのです。それで、これは食べ過ぎで、胃腸に負担がかかり、もうこれ以上食べ物を入れてくれるなという、胃腸からのシグナルなのだと思いました。それで胃腸の防衛策として、食べさせない為に、下痢を起こし、胃を悪くして、食べる気をおこせさせないようにしたのです。
その頃、読んだ小冊子が「水野南北 開運の極意」です。愛媛県宇和島市の大見屋さんいう所で一部100円で発行しています。(電話番号は0895-22-4601) 万に一つの誤り無しと表紙に添えてあります。水野南北は江戸時代の観想家(人の顔・姿・骨格などを見て、その人の性格や運命を判断する”人相見”)で数百人の弟子を持ち、百発百中当たらざる無しといわれたほどの達人でした。彼の人生は波瀾万丈で若いころ入牢し、そこで娑婆の人間と囚人との人相の違いに気づき、人間に興味を持つようになった。その後その道を究める為に色々な事をやり、分かった事があった。それは食を慎む人は好い人生を送るということである。例え生まれつきの人相が悪くても食を慎めば、人生が好転し、人相も良くなる。逆に元々の人相は良くても、飲食贅沢すると、健康を損ね、人相も悪くなり、不幸せになる。酒や肉をたらふく飲み、たらふく食べて肥え太った人は一生涯、出世発展することなく、慎まないと晩年不幸せになる。「食はその人の運命を左右する」という悟りを開いてから、水野南北は自ら粗食を実践し、運はどんどん開け晩年は広大な屋敷と倉七棟もの財をなしたといわれている。この小冊子に書いてある通りだと思い、食を慎もうと決意したのです。そこで甲田光雄さんの「奇跡が起こる半日断食」や船瀬俊介さんの「やってみました!1日1食」、「3日食べなきゃ7割治る」等を読み、1日2食にしたのです。

自慢の食事メニュー

朝は抜く。昼は生野菜のサラダでキャベツ、レタス、ニンジン、大根、玉ねぎ、赤ピーマン、青ピーマン、ブロッコリー、しめじ、キュウリ、焼きのり、白ごまと黒ごまを炒って擂ったもの、生アーモンドとカシューナッツ、マカデミアンナッツ、クルミ、干しブドウ、クコの実、カボチャの種、松の実が入っており、これに胡椒と岩塩をミルで砕いたものと、えごま油とバルサミコ酢で作ったドレッシングを振りかけて食べます。デザートはバナナ一本をカットしたものと、キウイフルーツを一個分、それに先程の胡麻2種類とハトムギを炒ったものを振りかけ、サラダに入れたナッツ類や種や干しブドウを入れたものに、自家製の豆乳ヨーグルトをかけて食べます。飲み物は紅茶。晩飯は基本的に玄米に雑穀を入れたものを一膳とみそ汁と漬物、それに煮たり、焼いたり、炒めたりした野菜類や納豆です。時々、頭から尻尾まで食べられる小魚も入れます。基本的には毎日このパターンです。この食事を始めてから、体重が12キログラム位減りました。

最後に

今では3年前までよくやっていた病気はほとんどありません。何とギックリ腰まで治ってしまったのです。たまに、やや風邪ぎみになる事がありますが、そんなときは、間違いなく、その前に続けて外食等で美食が続いたときなのです。その場合は一日断食します。私の断食はリンゴ断食ですから、全然苦しくありません。一日2回か3回リンゴを一個だけ食べるのです。これで大体良くなります。それでも調子が悪いときにはもう一日続けます。

過食、美食、贅沢食は万病の元です。

健康について考える

良く噛むこと。たった10日間で無理なく4kg痩せました。

 

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寺本麓人

代表取締役社長佳秀工業株式会社
佳秀工業株式会社 代表取締役社長。1948年生まれの現役経営者で、大きな夢を持ち、日々悪戦苦闘しながらも着々と夢に向かって前進しております。身体・心・環境の「三つの健康」に寄与できる事業展開を常に考え動いています。 趣味は美しいものなら何でも。美術、音楽、文学、大自然の景観、古い街並やモダンなデザイン、演劇、花鳥風月、もちろん女性も。海も山も川も大好きです。夜明け、夕暮、雨だって好きです。ローソクのあかりも。気になるコトには何にでも首を突っ込みます。考えるコトも好きですが、どちらかと云うと「やってみなけりゃワカランやん」という事で、行動を重視しています。多読で乱読、気に入れば精読。どんな本でも片っ端から読みます。

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